こんにちは、みちょるびんです。
「わたしは、みちょるびんです!」―――。
前回の記事「わたし、悩んでます。Part Ⅲ」の最後を、そんな言葉で締めくくりました。
なんか妙に、胸が熱くなってしまいました・・・。
こんな風に、‘言葉’にしたことで、自分を否定されたような悲しい気持ちになっていた心の中の‘みちょるびん’が喜んだのでしょうか!?
「わたしは、みちょるびん」っていう言葉自体は、まだ聞き慣れなくて、フワフワしていて、どこかまだ、現実味が感じられないっていうか、体に馴染んでいないという感じもあるんですけどね。
こんな言い方をすると、奇妙に思われるかも知れませんね。
日頃、記事で使っている一人称が「みちょるびん」であり、「こんにちは、みちょるびんです。」という決まり文句でブログを始めるくせして!(「違う世界の住人?」)
職場をはじめとした普段の生活では、みちょるびんは自分のことは、「わたし」と言ってます。
あれ? それとも「あたし」!?
どっちだっけ??
日記を書く時は、「私」なんですけど。
たぶん、「わたし」。
きっと「わたし」。
これだけ、ブログの場で「みちょるびん」を連呼していても、現実世界で「みちょるびんはね・・・」などと言い間違えることは一度もないし、自分のことを‘みちょるびん’として振る舞ったことも、実のところ、ない。
それに子供の頃から、自分のことを‘名前’で呼ぶという習慣も、そもそもなかったですしね。
‘みちょるびん’は、やっぱり、ブログの世界だけの、別人格なのかなぁ・・・。
当サイト「ぷぷっ・ピィ・DO」を開設(2020.6.21)した当初は、「占い三択リーディング」や「引き寄せの法則」をテーマにして、みちょるびんは、自分の言葉で記事を書いていました。
そしてそれから1ヶ月位した頃から、昔に書いた「日記」を掲載するようになりました。
調べてみると、記念すべき第一号は、記事「第一次仕事イヤイヤ期(その17:『ポーパイ不動』編)」(2020.7.31)でした。
当時通っていた易教室の先生、和尚さんの提案で、「お不動様の’愛称’」を皆で考えたという内容。
今思い出しても、ちょっと笑える!
よく見ると、それから約1年後の記事「第二章はじまる。」(2021.7.21)あたりから、現在のノープラン方式(当ブログの記事のスタイルの一つ。「昔の日記」の掲載に対して、自由スタイルで書くことを言う。)に、切り換えたのね!
だけどそれまでの間、ほぼ1年間は、昔の日記を載せていたんだねぇ・・・。
感慨深し。
さてさて。
なんで、ブログの一人称を「みちょるびん」にすることにしたんだったかなぁ・・・??
普段、日記を書く際の一人称は「私」なんですよ。
だから「私」がしっくりくるんですよね、本来。
あと、語尾を「です・ます調」のような敬体にするのか、「だ・である調」のような常体にするかも、迷いました。
文章の雰囲気もこれで大きく変わってきますからね・・・。
因みに、日記の場合は、常体ね。
書く内容にもよりますが、こっちの方が、‘滑稽さ’が出しやすいのではないかとも思ったんですけどね、でも、ちょっと男っぽいような、お堅いような雰囲気にもなるかもしれないとも考えました。
それで、丁寧な中に、ポップで軽く明るいイメージも作れそうな、現在の敬体にすることにしました。
あと、常体だとなんか、初対面の読者の皆さんに対して、失礼を働いているような罪悪感もあったんですよね☆ (オフィス・レディ的発想!?)
そしてまた、「私」よりも「みちょるびん」を使った方が、より柔和な感じがするかなって、思ったのでした。
最もね、「あ? みちょるびん? 誰??」という状況がある中で、「みちょるびんはね~♪」なんて言うと、「耳障り!」「いい大人のクセに!」って、「誹謗中傷」(!)のターゲットになりゃせんか、ちょっぴりナーバスになったりもしたんですけどね・・・。
だけど、今となっては、「みちょるびん」を採用していて良かったなと思っています♪
昔の日記を掲載するにあたり、日記の中の昔の自分「私」と、ブログを進行している今の自分「みちょるびん」を、それによって明確に区別することができたかなと思いました。
あるいは、自分自身が、「私」がいる現実世界と、「みちょるびん」が住むブログを区別したかったのかも知れませんけど。
どっちの「私」なのか混乱しそうだし、それに、せっかくブログのために誕生させた「みちょるびん」という名前を、何度も繰り返し使うことで、その存在をアピールしたかったのかも知れません☆
ブログを書き始めてすぐの頃は、何度も間違って「私」と書いては、「みちょるびん」に修正するという作業を繰り返していましたが、今は、慣れなんでしょうかねー・・・。
記事を書いていて、「私」が登場することは、ほとんどなくなりました。
逆に、仕事の業務連絡などでメールを書いている時に、たまに、ノリが‘みちょるびん’になっているように感じることがありますが、それでも自分のことを、間違っても「みちょるびん」とは言いません!
「わたし」が「みちょるびん」であることを、はっきりと自分の‘中心’に据えるようになるのは、第三者にその名で呼ばれるようになってからなんでしょうか・・・。
果たしてそんな日が、やって来るのだろうか!?
以上、みちょるびんでした!