こんにちは、みちょるびんです。
「大化の改新」って、たぶん、中学生の時に習ったんじゃなかったかと思います。
何年前!?
(遠い目・・・。)
中大兄皇子、中臣鎌足、蘇我入鹿とか、聞き覚えがあります。
‘いるか’・・・など、昔の人の独特な名前の方が印象に残っていて、内容までは、正直なところ、よく覚えていませんでした☆
んーとね。
調べてみると、「大化の改新」とは、中大兄皇子と藤原鎌足などが中心となって行った‘政治改革’ということでした。
歴史の年号を覚えるのに、語呂合わせを使った人も多いでしょうが、「無事故(645)で世づくり大化の改新」と覚えた「大化の改新」は、645年に起こったクーデター(中大兄皇子と中臣鎌足が、独裁体制だった豪族・蘇我氏を倒した「乙巳の変」)そのもののことを指すわけではないとのこと。
実は、そのクーデター後に行われた、’天皇を中心とした国づくり’を目的とした一連の政治改革のことを言うらしい。
「『大化の改新』は、中央集権国家を築くことを目指した政治改革だったが、ルール(「大宝律令」)が制定されるまで、実に50年以上の長い年月を要した。短期間で成果が出ないからといって諦めるのではなく、「どうしてもやり遂げたい事は根気強く続けることが大切である」ということを「大化の改新」は教えてくれる・・・」
と、いうような記載をしていたサイトを見かけました。
みちょるびん、この言葉にグッときました!
「大化の改新」の終わりは一般的に、650年頃までと言われているようですので、701年制定の「大宝律令」を持ち出して、このような言葉で締めるのは、ちょっと飛躍しすぎではないかと、客観的に見て思いますが、しかし、太字のパートには賛成です。
1年半以上、「1日1記事」投稿を継続しているものの、未だ「一人舞台、無観客」を記録更新中の当ブログ「ぷぷっ・ピィ・DO」にとって、心に響く言葉です!
これが一番言いたかった!!
そして、ここまでの説明が長かった・・・。
「大化の改新」の歴史上の意義がわかり、自分の勉強にはなったけどね☆
さて、ようやく「たいかのかいしん」ですよ、昨日、予告(?)した―――。
「かいしん」には、「改新」「会心」「回心」「回診」「戒心」「改心」と、いろいろありますが、「大家(たいか)」とくれば、やっぱり、「改新」ですかねぇ。
「その道で、特に優れた人」なるもの、‘旧来の制度や方法を改めて新しく’していかないと!
なんか、「大化の‘改新’」にがっつりカブッちゃってますので、目新しさに欠けますが、まぁ、いいのです。
「みちょらびゅん」で言うと、「大家のマイ・ルール制定」ってことになるかな!?
この辺は、ゆるぅ~く、やっていこうかと思います。
ぎゅうぎゅうに、しゃかりきになっても、いいものは、生まれなーいっ!
以上、みちょるびんでした!