こんにちは、みちょるびんです。
一昨日の火曜日は、朝早く起きて、「独り反省会。4」を仕上げて、出勤前に投稿しました。
時間に少し余裕があったので、次の記事の準備をしておこうと思い、書き始めたのですが、これが、意外に、スラスラと書けてしまい、自分でも驚きました。
「書くことは苦行」と言った矢先のことで、やっぱり、「心からあふれ出す感情=言いたいこと」があれば、ちゃんと、書けるものなんですね・・・。
なんかね、みうらじゅんさんのことを書いていると、気持ちがウキウキしてきたんですよ。
もっともっと、書きたい衝動にかられ、次から次に、思いがあふれ出したのですが、出勤する時間になったので、その思いに蓋をせざるを得ませんでした。
そうすると、やっぱり、気持ちが萎んでくるというか、今、あの時の思いを再現するのは難しい。
あのまま一気に、書き上げたかったなぁと悔やまれますが、仕方がありませんね。
‘オフィスレディ’の宿命です。
なんかね、一昨日は、なんか勝手に、自分で、「一皮剥けた」ような気になったんですよ。
脱皮!?
何が、そう思わせたのかは、わかりませんが、なんか、ひらめきというか、そんなものを感じたんです。
またまた、Youtube動画「占い三択リーディング」の‘お山様’(自分が選んだ‘三択の山’のうちの一つを、そのように呼んでいます)のお告げ話で恐縮なのですが、タロットカードの「ソードの10」=10本の剣が体に刺さって息絶えているという、絵柄的に怖いカードが頻発していたんです。
敢えて、ドラマティックな言い方をすると、「一つのステージが終了し、次の新しいステージに向かう」と、そのようなことを言われていたんです。
みちょるびん的には、ずっと長い間、霧の立ち込めた、先の見えない迷路のようなところを歩いている気分でいたし、この状況から脱出できるという意味なのであれば、喜ばしいことだと、密かに期待していました。
果たして、火曜日の朝が、そのタイミングだったかどうかはわかりません。
好きなみうらじゅんさんのことを話題にして、気分がちょっと高揚しただけかもしれない。
引き続き、「生みの苦しみの日々」を繰り返すことになるのかもしれない。
ま、急に、秘めたる才能が開花するなんてミラクルは、常識的に考えて(!)簡単に起こるものではないし、やっぱり、苦行の日々は、相変わらずやってくるのだろうという覚悟はあります。
でもね、なんか、晴れやかな気持ちになったのも事実でね。
こういうのを、‘開眼’ってでも言うのかな?
(最近は、‘覚醒’という言葉が巷に出回っていて、‘覚醒’と言った方が、キャッチーなのかもしれませんが、みちょるびんは、なんか、そういうの好きじゃないので、‘開眼’にしときます。)
いや、本当、何の根拠もないし、明確な何かがあるわけでもない。
うまく説明できませんが、自分の中で何かが起こったのは、たぶん、本当なのです。
ちょっと、面白いので、今後の自分の心の動きに、注目したいと思います!
ところで、みちょるびんは、お気に入りの人やブランドに出会うと、つい、自分の名前を‘変化’させて、その‘お気に入り’に近づけるという一人遊びをしています。
お気に入りの名前にうまく‘変化’できると、なんか、運命的な結びつきやシンパシーを一方的に感じて、うれしくなるんですね。
みちょるびんの本名は公開できないので、過去に‘変化’させた具体例をこの場で披露できないのが、大変残念なのですが、今回は、「みちょるびん」を「みうらじゅん」さん寄りに変化させてみました。
「みちょらびゅん」です。
ね? 近づいてるでしょう!?
憧れの人に近づくのに、形から入っていこうというね。
みちょらびゅん。
いいじゃなーい?
基本的に、みちょるびんは、人真似することは、好きではないのですが、‘なりたい自分’への早道として、憧れの人を手本にするということは、よく推奨されていることのようです。
これまた、「占い三択リーディング」の話で恐縮ですが、「メンターの出現」を預言されていて、ずっと、「誰なのだろう?」「いつ現れるのだろう」って、みちょるびん、心待ちにしていたんです。
でも、一向に、現れる気配がなくて。
そのうち、「物理的な出会いではなくても、ネットの中の、憧れの存在でもいいんですよ」という、アドバイスもあり、それでも、やっぱり、「そんな人、いないし・・・」って、思っていたんですよ。
だから、「ああ、みうらじゅんさんが、‘それ’じゃない?」って、気づいたら、合点がいったというかですね―――。
これまた勝手に、みちょるびんの‘心のメンター’に、みうらじゅんさんを任命しちゃおうかなって、思ったのでした。
みうらじゅんさんをメンター指名している、みちょらびゅんです♡
あーっっ、みちょらびゅん、来年の「みうらじゅん賞」を受賞しないかなー!?
以上、みちょるびんでした!