こんにちは、みちょるびんです。
つい、2日ほど前、頭を抱え、絶望的な気持ちになる夢を見ました。
目が覚めると、日付が既に変わっていて、「ブログをアップできなかった! 1日、穴を開けた!!」と思い、ショックを受けるという夢でした。
「1日1記事」を目標にしている者にとっては、いやぁな夢です。
気分的に、追い詰められているのでしょうか・・・・。
心理学の先生だったかが、おっしゃっているのを聞いたことがありますが、実生活の中で感情を押し殺していると、それが夢に現れることがあるそうです。
自分が気づいていないだけで、例えば、実は深い悲しみを抱いていた・・・というサインだったりするようです。
だから、実生活が難しいようなら、夢の中だけでも、泣いて、その感情を発散させて、心のバランスを図ることも大切なのだそうです。
【とある夢の日記】
昨夜は、ずっと作業をして、布団に入ったのが明け方だった。
そんなこともあり、今日は、昼頃まで寝ていたわけだが、夢を見た。
実家のはずなのに、支離滅裂だが、先日、40代という若さで亡くなった同僚が、出てきた。
同僚の無念さを思って、とても悲しくなるのだけど、なぜか、泣くのを我慢するんだよね。
そしたら、実家で一緒に住んでいた、でももう死んでしまったばあちゃんが、普通に出て来て「お茶を持って来てあげる」と言い残して、そのまま部屋を出て行った。
次に母マミーが出て来たのだが、私の泣きそうな顔に、ちょっと戸惑った様子で、それに気づかないふりをした。
それで、私は、ますます、泣きづらくなってしまった。
だがそこで、はたと気づいた。
泣いていなかったのだから、泣いた方がいいと。
そこで、目が覚めた。
3週間くらい前の、その同僚のお通夜に行った時、一瞬泣きそうになったのだが、周囲に人がたくさんいたため、すぐに涙が引っ込んでしまったということがあった。
だから、同僚のために、ちゃんと泣くということをしていなかった。
昨日、写真の整理をしていた時に、たまたまその同僚が写った写真が出て来て、いろいろと考えたせいなのか、すごく悲しい気持ちになっていた。
それが印象に残って、同僚が、夢に出て来たのに違いない。
私は、気持ちを押さえることをせずに、泣くことにした。
溜まっていた悲しみを、発散すべきなのだろうと思ったから。
泣きながら、今度は、夢の中に出て来た死んだばあちゃんのことを思い出した。
夢の中で、泣きそうになっている私を、リラックスさせようとして、「お茶を持ってくる」なんて、ばあちゃんらしい。
ばあちゃんの心遣いを感じた。
また、1週間近く前に見た夢にも、ばあちゃんが出てきていたのを思い出した。
変なシチュエーションだが、天井の天井板の一つが外されたような感じになっていて、その黄色い隙間から、天井裏というか、二階に抜けて行かねばならず、でも、あんまり隙間が狭いから、そんなの不可能だとためらっていたのだ。
そしたら、ばあちゃんが現れて、ひょいと身軽にそこを潜り抜けて行ったのだ。
どうやら、目の錯覚だったらしく、私も、ばあちゃんの後に続いたのだった。
何か、この時も、ばあちゃんが、私を手助けしてくれているような感じがしたのだ。
この二つの夢に出て来たばあちゃんを思い起こして、私は、ばあちゃんに守られているのだと直感し、また、感動して、涙した。
ありがたかった。
ばあちゃんが亡くなってすぐの時に見た夢では、黒い服を着た集団が乗るバスに、ばあちゃんは、無言で乗り込んで、去って行ってしまった。
この時のばあちゃんも、天井板をすり抜けた時のばあちゃんも、無言で、ちょっとつまらないと思っていたのだが、今回は、言葉を発してくれたのが、なんだかうれしかった。
【とある夢の日記2】
寝過ぎのせいなのか、昨夜はずっと夢を見ていたように思う。
実家が舞台だった。
夜中の24時だったか、とある男性と待ち合わせをしていた。
懇意の仲。
夜に出かけるのは、母マミーに怒られるかも知れないと心配したが、さすがに、年齢的にいい大人になっているせいか、黙認された。
亡くなったばあちゃんも出てきた。
会話はしないが、いつも、当たり前のように登場する。
夜だったので、ばあちゃんは無言で寝る支度をして、そのまま寝てしまった。
夢占いによると、夢に‘亡くなった人’が出てくるのは、まだ、その人の死を、受け入れられていないということだった。
ばあちゃんが亡くなってから、もう4年も経っており、さすがに私も、その死を現実のものとして受け止めていると思うが。
夢の中で出かける時、‘ぬいぐるみたん’と日記を携行しようとしていた。
ぬいぐるみたんは、夢の中でもぬいぐるみのまま、動かない。
夢の中くらい、自由に動いてもいいのに。
ぬいぐるみたんはともかく、日記を持って出かけようとしたわけは何だろう?
以上、みちょるびんでした!