こんにちは、みちょるびんです♪
森アーツセンターギャラリーにて開催中の『さくらももこ展』に行ってきました(「しばし待たれよ! Part3-164」)。
国民的まんが『ちびまる子ちゃん』の展示のお次は、いよいよエッセイのコーナー。
さくらももこさん(以下、敬称を省略させてもらうよ!)というと、エッセイストとしての横顔も持つ。
だから、この展覧会においてエッセイが取り上げられないはずがないと確信していました。
そしてみちょるびんは、白状すると、そのエッセイの偵察(?)のためにこの展覧会を訪れたと言っても過言ではない!
2020年6月20日に当サイト「ぷぷっ・ピィ・DO」を開設以来、「1日1記事」を目標に、みちょるびんだって毎日せっせと何かしら書くようにしているのです。
これっていわゆる‘エッセイ’なんでっせぃ―――。
それこそ30年以上前のことになるが、友達にさくらももこさん(以下、敬称を省略させてもらうよ!)の初エッセイ『もものかんづめ』(1991年)を借りて読んだことがあって(借りてばっかだな・・・!!)、とても面白かったという記憶がずっとみちょるびんの中に残っていました。
そして、何かにつけて、漫画家さくらももこが優れたエッセイストとして紹介されるのを見るたびに、昔読んだ『もものかんづめ』のことが思い出され、今回、さくらももこの実力を確かめるのにいい機会だと思ったのでした。
エッセイの場合、著名人が書いたものでなければ吸引力がないという定説があって―――いや、さくらももこの場合は、まんが『ちびまる子ちゃん』が当たって、当時は既に著名であらされていたと思うけど、それ以前にやっぱり、エッセイそのものが面白かったという、みちょるびん自身における実体験がある。
まんが『ちびまる子ちゃん』の主人公まる子の親友――言わずと知れた‘たまちゃん’――のモデルとなった穂波珠絵さんの証言によると、さくらももこは小学生の頃からとにかく文才があり、小学校6年間の中で、読書感想文のコンクールで学校代表に選ばれなかったことはなかったという。
そして、朝礼で賞状をもらう姿をよく見たのを覚えている、と。
高校3年生の時は書いた作文を読んだ先生に「現代の清少納言」と言わしめたって言う逸話もあるほど。
‘ひとかどの人物’として箔をつけるのに十分な出来事です。
みちょるびんにもそういう輝かしいエピソードが欲しいところだけど、あるとしたら「ダンスの即興の女王」と呼ばれたくらい(「じーまんGO!(#6 みちょるびんダンス♪)」)。
それに、生まれてこの方、作文で褒められた記憶がほとんどないんだもの、みちょるびんは(- - ☆)。
ホラー漫画家伊藤潤二先生の大規模個展『伊藤潤二展 誘惑』を見に行った時、子供の頃に見せた天才の片鱗に圧倒されつつ、自分自身のことを思い返してみて、そこでも出てきたのは、ダンスだったんだよなぁ(「しばし待たれよ! Part3-129」)。
エッセイとダンスでは、全然、路線が違うじゃん!!!
しかもですよ、いやらしいことに、文才があることを自覚しているさくらももこは、自分の優れた文章に絵をつければ漫画になるじゃん!?って、一石二鳥じゃん!?くらいな発想で漫画家を始めていて。
そこに独創的なさくらももこ漫画の原点があるわけだから、もうランクが違う。
それだのに、何故にこうもみちょるびんはさくらももこのことが気になって、ましてやライバル視(!)までしている自分がいるのか、自分でも戸惑っている。
オフィスレディーとして仕事をしながら4年半、毎日エッセイを書き続けているのに、未だに「一人舞台、無観客」状態に近いっていう現実のみちょるびんと、かたや若くしてトントン拍子に輝かしい成功をおさめたさくらももこ。
それが妬ましいんだと思います。
18歳で『りぼん』にまんがを初投稿し、19歳で漫画家デビュー。
21歳には初連載『ちびまる子ちゃん』がスタートし、24歳でちびまるこちゃんが第13回講談社漫画賞を受賞、25歳にはテレビアニメ『ちびまる子ちゃん』が放送を開始し、作詞したエンディング『おどるポンポコリン』も日本レコード大賞をとって、26歳には初エッセイ『もものかんづめ』の刊行ですわ。
ナニこれ?
ホントにもう、一体なんなのコレ!?
だけどね、さくらももこはやっぱり、イカしてるんだよ。
小さいまるの絵が少しずつ変化していって、ちびまる子ちゃんになる・・・落書きみたいな絵が描かれてあってね―――。
ある日
小さなまるが来て
「いっしょにあそぼう」
と言ったので
わたしはとても
うれしくて
そのまるとずっとずっと
いっしょにあそぶことに
しました。
(『Momoko Sakura Exhibition さくらももこ展 図録』
(2024年11月12日、(株)集英社))
だってさ。
完敗だと思ったよ。
(つづく・・・)
以上、みちょるびんでした!