こんにちは、みちょるびんです。
ショックなことがありました―――。
現在、みちょるびんは、一時帰国に向けて準備を進めているところですが、今回も大好きな京都に行く予定にしています。
京都では、もう30年以上もの付き合いがある地方在住の友人たちと大集合する計画です。
これまでも個別に会う機会はありましたが、こうやって皆で大集合するのは久しぶり。
最後に全員で会ったのがいつだったのか、思い出せないほどです。
皆との再会も、そして京都に行くことも、みちょるびんはダブルで楽しみにしていました。
以前、記事にも書いたことがあった、みちょるびんが自宅で愛用している赤いフレームの眼鏡(「ムクムク、おしゃれ心。」「みどりむし♪」)。
実はこれは、京都の眼鏡屋さんで購入したものです。
現在外国で暮らすみちょるびんは、そう簡単に京都に行けるものではありませんし、この機会に、眼鏡のレンズを交換してもらおうと考えました。
使用に支障があるわけではありませんが、レンズに少し傷が入っていて、放置しておくとその傷が広がっていく危険性があると心配になったのです。
それで久しぶりに、ひいきにしている眼鏡屋さんの営業時間等をネットで確認しようとしたところ、ショッキングな文字が。
閉店―――。
目を疑いました。
考えもしなかったことです。
もちろん、始まりがあれば終わりはあるわけで、永遠というものはありません。
だけど、勝手ではありますが、この眼鏡屋さんは、ずっと・・・、少なくともみちょるびんが生きている間はずっとあるものだ、そんな風に思っていたんです。
だから、「閉店」とは、思いもしなかったことでした―――。
2018年2月末のことだったらしい。
4年も前・・・!!
いくら、みちょるびんが海外にいる間だったとは言え、もう4年も前に閉店されていたなんて、悲しすぎる・・・。
その眼鏡屋さんというのは「眼鏡研究社」。
新京極商店街にありました。
確か、今回京都で会う約束をしている友達と二人でこの商店街を歩いていて、偶然見つけたお店だったと記憶します。
店先にかけられた、レトロな丸いフレームの眼鏡の暖簾が印象的で、それに誘われて店内に入って行ったのではなかったか。
当時のみちょるびんは、眼鏡を持っていませんでした。
あるにはあったのですが、海外にいる時に作ったもので、実はそれは老眼鏡だった!というもの(「コンタクト問題。」)。
日本に戻って来てから、その後しばらくは眼鏡を作っていなかったのです。
「眼鏡研究社」の眼鏡は、すべてがオリジナルの手作り。
フレームもセルロイド製と珍しく、何よりフレームの形がみちょるびんに合っていました。
それは‘眼鏡姿’に自信が持てなかったみちょるびんにとってうれしいことでしたし、それに「大好きな京都にある眼鏡屋さんで眼鏡を作る」ということも魅力的でした。
友達と一緒に、「眼鏡研究社」で眼鏡を新調しました。
2001年1月22日のことです。
だからもう20年以上も前のお話。
当時のお値段は、37,800円。
視力がかなり悪いみちょるびんは、何もしなければ牛乳瓶のような分厚いレンズになるのですが、スマートな厚さでこの値段。
お財布にも優しいところも気に入りました。
この眼鏡は、もちろん今も毎日愛用しています♪
2014月3月22日には、傷だらけになっていたレンズの交換も行ってもらいました。
購入してから随分時間が経っていたというのに、顧客データがきちんと管理されていて「安心のプロの仕事!」と感心したものです。
その時は更に、グリーンのフレームの老眼鏡も新たに追加購入しました(30,450円)。
これは当時、ジュエリーメイキングで細かい作業をするのに目が疲れるというので、ジュエリーメイキング用に作ったものでした。
みちょるびんはまだ、老眼鏡を普段使いするということはしていませんが、これから必要になってくるだろうし、今となってはあの時に「眼鏡研究社」で作っておいて良かったと、心から思いました。
ご主人の玉垣嘉一さんが言葉を残されていた閉店案内を拝見しました。
創業は明治24年だったのだそうで、「玉垣眼鏡店」「メガネの玉垣」「眼鏡研究社 玉垣」名前を変えながら、127年間、新京極通四条上るの地で代々営まれてきたということでした。
本当に、閉店が悔やまれます。
眼鏡をしたまま寝てしまい、目が覚めたら、眼鏡が自分の下敷きになっていたり・・・そんな危機的状況をかいくぐりながら、21年間、みちょるびんとともに毎日を過ごしている「眼鏡研究社」の赤い眼鏡。
いつでも修理してもらえるという安心感が、みちょるびんに眼鏡を無造作に扱わせていたところがありましたが、これからはもっと大切に扱いたいと思います。
今更ですが、「眼鏡研究社」さん、長きにわたり、快適でおしゃれな眼鏡ライフをありがとうございました!
以上、みちょるびんでした!