こんにちは、みちょるびんです。
みちょるびんは一頃、「人格者」になることを目指していた時期がありました。
三十代だったでしょうかね・・・??
辞書を調べてみると「人格者」の意味は、以下のとおり。
じんかく‐しゃ【人格者】
精選版 日本国語大辞典精選版
〘名〙 すぐれた人柄で、また、気品の高い人。
「人格者」っていうのは、第三者にそのように評されてはじめて、そうなれるのではないかと思いますが、当時のみちょるびんは「人格者」になることを熱望していた。
おそらく一つは、‘一角の人物’と賞されるようなお偉い方に接する機会があって、その方に影響された部分が大きかったように思います。
その方はもちろん、実力があって優秀だったのだろうとは思いますが、それ以前に人柄がよいから、その地位まで上り詰めたんだろうという憧れがあったんです。
下々の者に対する配慮を忘れないというのか―――。
誰もがその方のことを知っていて、でも、自分のような下っ端のことなぞ、その方が知るハズがないと思うのですが、何かの拍子に覚えていてくださって、そして労いの言葉をかけてくださったりするわけです。
とても遠い存在であるその方が、そんな風に声をかけてくださったということ自体に感激するし、一瞬でファンになってしまう。
この方のために尽くしたい!と忠誠を誓わせるような、そんな魔力があるとでもいうか。
みんながその方のことを好きで、微笑みを持って遠くから見つめている・・・そんな感じ。
若造だったみちょるびんはとにかく、すごいなって思ったんですね。
人柄の良さ、そこには‘穏やかさ’があるように感じられたのでした。
学生時代のみちょるびんが自分を形容するとしたら、それは「おこりんぼう」でした。
自分の一番の短所は「短気」だと思っていて、その性格を直したいとずっと思っていました。
だけど、学生時代の自分を振り返ってみて感じることは、実は「短気」だったのではなく、心が満たされていなかったんじゃないか・・・ということ。
自分に自覚はなかったのだけど、何かしらの不満やストレスを抱えていたのではなかろうか・・・。
だから常にイライラしていて、ちょっとしたことに腹を立てていた・・・そんなふうに感じます。
大人になると自分の内面を見つめたり、分析したりできるようになるけれど、当時はまだ子供で、そういう作業ができなかったんだと思う。
だからみちょるびんは、「おこりんぼう」な自分のことをずっと「短気」なのだと信じていたんです。
確かに気が短いところはあって、せっかちだったりはするのだけど、でもやっぱり置かれていた環境に原因があったように思う。
いずれにせよ一時期、「短気」を直そうと努めていた若かりし頃のみちょるびんがいました。
そのうち途中から‘短気の克服’よりも、‘感情のコントロール’に意識がシフトしていったように思います。
そして前述の‘一角の人物’に出会ったことで、穏やかな人柄に見えた「人格者」を目指すようになった。
もしかすると、たくさんの人に好かれたいという願望がベースにあったのかも知れません。
部活で演劇をやっていたみちょるびんは、どうも、その時の自分の感情を周囲にアピールしたい欲求が強かったように思う―――。
いや、本人にはその自覚はなかったのですが、でも結果的に、怒りや悲しみなどの負の感情をストレートに表現して、周囲を巻き込んで、振り回していたように思う・・・。
実際、若い頃はヒトとの衝突も多かった。
だけども、人間関係は良好な方がいいに決まっている!
しかしだからと言って、八方美人になって、皆の機嫌を取ろうということではない。
あくまでも人柄の良い、好ましい人物になることで得られる副産物であるべき。
あの‘一角の人物’がそうであったように、やがては周囲を虜にするような魅力ある人物になれるだろうという期待がありました。
「人格者」になるためには、感情をコントロールする必要がある。
特にネガティブな感情。
ヒトのことを悪くは言わないように気をつけ、常に余裕を持ち、穏やかに、冷静でいるように努めました。
みちょるびんもだんだんと、周囲が気を使ってくれるような年長者になってきて、そのおかげもあり、腹を立てるようなシーンに出くわすことも劇的に少なくなってきました。
だから余程、攻撃的で好戦的で不快な相手でない限りは、その姿勢を崩さずに、穏やかにいられるようになってきた。
しかしたまに、みちょるびんの心をかき乱す‘わからずや’が現れる。
一生懸命なんだけど、それ故に視野が狭まってしまっていて、ちょっと柔軟性に欠けるというようなタイプ。
そういう人を相手にするとき、説明しても説明しても、全然わかってもらえないし、そもそも相手も言葉足らずで、情報が小出しにしか出てこないものだから、状況を整理するにも苦戦するし、その結果、相互理解にかなりの時間を要す。
そうなるとつい、イライラしてしまい、早口になってしまい、声のトーンが高くなってしまう。
冷静でいられなくなっている自分に気づく。
相手は悪いヒトではないし、むしろ純粋だったりもするものだから、四角四面に規則にとらわれて正論を述べる自分の方が、だんだんと非情であるかのような気分になってきて、そういう後ろめたい気分がますます、自分を正当化させようと躍起にさせる。
こんな風に心を乱されてしまっている自分に、まだまだ未熟だなぁ、修行が足りないなぁと反省するみちょるびんなのでした。
「人格者」への道は遠い。
以上、みちょるびんでした!